揚州八怪とは?

「揚州八怪」は、中国の清朝18世紀に揚州という都市を舞台として活躍した、個性豊かな書画家8人をまとめた呼び名です。塩商の活躍によって経済的に活況を呈した揚州には、たくさんの芸術家たちが集い、競うようにその才能を花開かせました。書画の分野では、古典に学びながらも新鮮な感覚を示す者たちが多くあらわれました。後世の批評家は代表的な8人を選び、伝統にとらわれない異才を称えて"八怪"と呼びました。

序章
絢爛(けんらん)たる文化都市―揚州

清朝中期の揚州の繁栄は、江南巡幸の際にこの地を視察した乾隆帝をも驚かせたといいます。揚州八怪活躍の舞台となった都市の文化的な華やぎを、大家の作例とともに俯瞰します。

袁耀「真山水図軸」

袁耀(えんよう)真山水図軸(しんさんすいずじく)
清・乾隆37年(1772) 泉屋博古館蔵 【各幅半期入替】

袁耀は揚州で大変人気のあった画家で、この作品はそれぞれ2mをゆうに超える高さの大画面に描かれています。揚州の繁栄とともに巨富を築いた人々は、大きな邸宅を構え、このような立派な作品を掛けて鑑賞を楽しんでいました。

第1章
先駆者たちの芸術

揚州八怪登場の前夜、彼らの芸術を導く先駆者たちの活躍がありました。揚州八怪の芸術に大きな影響力をもった石濤(せきとう)朱耷(しゅとう)八大山人(はちだいさんじん))など、明末から清初にかけて活躍した作家を取り上げます。

石濤「東坡時序詩意図冊」

石濤(せきとう)東坡時序詩意図冊(とうばじじょしいずさつ)別歳(べつさい))」
清・17-18世紀 大阪市立美術館蔵 【前期展示】

蘇軾(蘇東坡)の詩の中から時節の順序に従って12題を選び、その詩意をとって絵画化したものです。この図は本冊を締めくくる別歳(年末)の場面。一年が終わってゆく寂しさと新たな年への決意を胸にした、凛々しい蘇軾のうしろ姿が印象的に描かれています。

第2章
揚州の怪傑たち

「揚州八怪」とされる書画家は、批評家によって選んだ8人が異なるため、金農(きんのう)鄭燮(ていしょう)を筆頭に、黄慎(こうしん)李鱓(りぜん)李方膺(りほうよう)汪士慎(おうししん)高翔(こうしょう)羅聘(らへい)高鳳翰(こうほうかん)陳撰(ちんせん)華嵒(かがん)辺寿民(へんじゅみん)楊法(ようほう)閔貞(びんてい)李葂(りべん)と実に15人の名が挙げられます。本展では、彼らのうち12人の作品を集め、その全容をたっぷりとご紹介します。

高鳳翰
高鳳翰「山水花卉冊」

高鳳翰(こうほうかん)山水花卉冊(さんすいかきさつ)(はす))」
清・雍正12年(1734) 大阪市立美術館蔵 【前期展示】

高鳳翰は55歳の時に右手を病んでから、左手で制作をするようになりました。この作品はその少し前、52歳の時に描かれたものです。()(とう)という指や爪を使った画法が用いられ、風に揺らぐ蓮の姿を美しく表現しています。


羅聘
羅聘「浄名居士像軸」

羅聘(らへい)浄名居士像軸(じょうみょうこじぞうじく)」(部分)
清・18世紀 澄懐堂美術館蔵

浄名居士とは、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)との問答で有名な維摩(ゆいま)の異名です。(ひょう)()脇息(きょうそく))にもたれる老人の姿は病身であった維摩の典型ですが、ふわりと浮くような衣、奇妙な古木製の凭几や持物など、本図は通例と少し異なっていて、不思議な魅力があります。


金農
金農「隷書六言詩横披」

金農(きんのう)隷書六言詩横披(れいしょろくごんしおうひ)
清・乾隆27年(1762) 東京国立博物館蔵(Image: TNM Image Archives)

金農のこの刷毛で書いたかのような太い横画に、細く鋭い払いを組み合わせたものは、「(しっ)(しょ)」と呼ばれ、五十代半ば以降に作り出しました。これは亡くなる前年、七十六歳の書。強烈な個性は熟練されて苦渋や凄みすら感じられます。


楊法
楊法「隷書五言古詩軸」

楊法(ようほう)隷書五言古詩軸(れいしょごごんこしじく)
清・18世紀 個人蔵

本作は隷書体で書かれていますが、奇抜なデザイン化が進められていて、書体をこえた楊法独自の表現があります。楊法の作品はあまり多く残っていませんが、個性派ぞろいの揚州八怪のなかでも挑戦的な作風で、当時の注目をあつめたに違いありません。


黄慎
黄慎「仙子漁者図軸」

黄慎(こうしん)仙子漁者図軸(せんしぎょしゃずじく)
清・18世紀 大阪市立美術館蔵

自然とともに暮らす、悠々自適な漁者の姿をえがいています。題詩によれば、釣った魚を酒代にして、今夜は蘆の花の間で酔っぱらって一人眠ろう、とあります。黄慎の書と画は、独自の揺らぎをもった線であらわされますが、しっかりと骨格をとらえた見事な出来栄えです。


李方膺
李方膺「梅花冊」

李方膺(りほうよう)梅花冊(ばいかさつ)
清・乾隆19年(1754) 京都国立博物館蔵 【後期展示】

梅は古くから好まれた主題で、揚州八怪の多くも梅花図を描いています。李方膺の画は、伝統的な表現を踏襲しながらも、墨の濃淡をうまくあやつり、画面の中に踊るように展開させるなど、斬新さが際立っています。


鄭燮
鄭燮「行書揚州竹枝詞冊」

鄭燮(ていしょう)行書揚州竹枝詞冊(ぎょうしょようしゅうちくししさつ)
清・18世紀 東京国立博物館蔵(Image: TNM Image Archives)

鄭燮は隷書・楷書・行書をまじえて、極めて個性的な新しい様式を作りあげます。漢代の隷書の「(はっ)(ぷん)」になぞらえて「(ろく)()(はん)(しょ) 」と名づけました。変化に富んだ筆運びで力強く爽快な印象の作品となっています。


李鱓
李鱓「萱草石竹図軸」

李鱓(りぜん)萱草石竹図軸(かんぞうせきちくずじく)
清・18世紀 個人蔵

萱草(ワスレグサ)には憂いを忘れる、石竹(ナデシコ)には純潔の愛や女性美などの意味があり、画題として好まれました。李鱓の手にかかると、石竹が可憐に描かれる一方で、萱草はずいぶん奔放な筆致であらわされています。放蕩生活を送ったという李鱓の胸のうちが反映されているのかもしれません。


華嵒
華嵒「秋声賦意図軸」

華嵒(かがん)秋声賦意図軸(しゅうせいふいずじく)
清・乾隆20年(1755) 大阪市立美術館蔵 【前期展示】

欧陽脩の「秋声賦」の詩情を絵画にしています。主人と侍童を小さく配して、秋の夜に風が吹き渡る様子を雄大にとらえています。添えられた書も秋風に吹かれるように揺らぎ、画面に一層の情趣を加えています。

第3章
揚州の文化人ネットワーク

揚州八怪が当代の芸苑を席巻したのは、彼らの芸術を理解し、高く評価した文化人の存在があったからに他なりません。揚州八怪の広まり、また後世へと橋渡しされていく様相を追います。

阮元「行書七言聯」

阮元(げんげん)行書七言聯(ぎょうしょしちごんれん)
清・18-19世紀 大阪市立美術館蔵

阮元は従来の(おう)()()などの法帖を見直し、北朝の碑刻に本来の古法を見出そうと主張し、清朝後期の書に大きな影響を与えました。しかし彼の書自体は、穏やかで悠然としたものです。使われている絹の美しさにも注目してください。

終章
揚州八怪の遺伝子

揚州を舞台に鮮やかに花開いた"八怪"たちの芸術は、後世の書画家に大きな霊感を与え、現代まで継承されています。大家に受け継がれた"八怪"の面影をたどり、本展の締めくくりとします。

趙之謙「富貴図軸」

趙之謙(ちょうしけん)富貴図軸(ふきずじく)
清・同治11年(1872) 東京国立博物館蔵(Image: TNM Image Archives) 【後期展示】

牡丹は富貴の象徴として大変好まれた主題です。趙之謙は清末に活躍し、書画篆刻を得意とした大家で、力強い筆墨に魅力があります。揚州八怪の作品を多く学び、本図も李鱓などを学習した成果といえます。